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twitterやめた。
お、お久しぶりでございます。
ブログを長いこと更新できずにすみませんでした。
ブログ代わりとして使っていたtwitterをやめました。
まあ、使用目的はブログ代わりの他にもいろいろあったのですが。
フォローして下さってた方につきましては、急で申し訳ない。
以下、twitterやめる際のツイート。夜の9時頃。
≫ 再び「twitterやめようかなあ気分」が訪れた。すぐ気になるのはイカン。
≫ まあtwitterに限らずだけど、ネットの依存度のヤバさについて、そろそろ本格的に見つめなおしたいです。もっと皆で考えてもいい問題なのだろうけど、ネットの歴史が浅いのか、twitterが持つクリーンなイメージが感覚を麻痺させているのか、危機意識が湧き上がりにくい。
≫ アクセスすれば最先端の情報が手に入るという事を手放しに喜び、受け入れるというのは、実はよくない一面もあるんだよ、と意識させておきたい。気になった事がすぐ分かるようになった分、情報を咀嚼しなくなった。満足したかというと、すぐ別のことが気になる。その繰り返し。
≫ ネットを使うようになってからの感想を一言で言うと、「常日頃、実に多くのことを気にせずにはいられなくなったなあ」です。心の落ち着く日々がなくなりました。
≫ 半端ない依存っぷりを自覚してるのだけど、やはり気になってしょうがない。我慢すれば反動が出る。このへんで荒療治が必要なのかも。思い切ってtwitterをやめるかもしれないという事を事前に報告しておきます。放置していたブログを再開させるのもいいかも。
≫ 今日いっぱいで、夜中~明日朝あたりでtwitterをやめようと思います。急でゴメン~。
・・・という感じでした。
なんか、twitterというよりはネットへの依存っぷりの方が由々しき問題ではある書き方だけど、すぐに気になって、それをチェックできる、また気になる、チェック、気に・・ という悪循環が出来上がってしまった状態でのtwitter使用は、望ましい使い方ではないな、と思いました。
twitterをやめたことでのデメリットもあると思います。情報が皆よりワンテンポ遅れて入ってくる、皆が知る情報を自分だけ知らない、という事が起こりえます。
でも、場合によっては「知らないまま」でいた方がいい事もあるかもしれませんね。
3つ目のツイートの事になるのですが、気になる事がすぐ分かるというのは、そこで解決するのではなく、あれこれ他の事が気になって仕方が無いという悪循環を作り出します。
で、だんだんエスカレートして歯止めがかからなくなってくる。
2つ目のツイートの話も混じってくるんだけど、ネットの歴史が浅いためか、今のところネットへのアクセスに関して制限時間が定められてないため、延々と見続けてしまう。
電車待ち、乗車中などやる事がないとすぐ携帯に手が伸びる。
(携帯はこのタイミングでしか見ない、という自分ルールを確立しているのであれば別です。が、そのような人はあまりいないでしょう。・・・とはいえ、制限する方法が己の自尊心のみ、というのもなかなかに酷な話ですよ。そのくせ、もし法でネット閲覧の制限時間が設けられたらきっとブーブー言うのでしょう(笑)。)
起きている間じゅう、ひたすら気にせずにはいられない状態を作り上げているのであれば、何のための情報か、という事です。
恐らく、いろんな事を気にしてしまうのはつまり、情報の取捨選択が出来てないという事なのでしょう。
ここは一旦、あえて「見ない」状態を作り上げる事で、自分に必要な、気にするべき情報は何か、気にしなくていいから見なくてもいい情報は何か、ちょっと考えてみます。
twitterをやめたので、ブログの更新率は上がる・・・かも。たぶん!
うんこブログですが、今後ものんびりお願いします。
ブログを長いこと更新できずにすみませんでした。
ブログ代わりとして使っていたtwitterをやめました。
まあ、使用目的はブログ代わりの他にもいろいろあったのですが。
フォローして下さってた方につきましては、急で申し訳ない。
以下、twitterやめる際のツイート。夜の9時頃。
≫ 再び「twitterやめようかなあ気分」が訪れた。すぐ気になるのはイカン。
≫ まあtwitterに限らずだけど、ネットの依存度のヤバさについて、そろそろ本格的に見つめなおしたいです。もっと皆で考えてもいい問題なのだろうけど、ネットの歴史が浅いのか、twitterが持つクリーンなイメージが感覚を麻痺させているのか、危機意識が湧き上がりにくい。
≫ アクセスすれば最先端の情報が手に入るという事を手放しに喜び、受け入れるというのは、実はよくない一面もあるんだよ、と意識させておきたい。気になった事がすぐ分かるようになった分、情報を咀嚼しなくなった。満足したかというと、すぐ別のことが気になる。その繰り返し。
≫ ネットを使うようになってからの感想を一言で言うと、「常日頃、実に多くのことを気にせずにはいられなくなったなあ」です。心の落ち着く日々がなくなりました。
≫ 半端ない依存っぷりを自覚してるのだけど、やはり気になってしょうがない。我慢すれば反動が出る。このへんで荒療治が必要なのかも。思い切ってtwitterをやめるかもしれないという事を事前に報告しておきます。放置していたブログを再開させるのもいいかも。
≫ 今日いっぱいで、夜中~明日朝あたりでtwitterをやめようと思います。急でゴメン~。
・・・という感じでした。
なんか、twitterというよりはネットへの依存っぷりの方が由々しき問題ではある書き方だけど、すぐに気になって、それをチェックできる、また気になる、チェック、気に・・ という悪循環が出来上がってしまった状態でのtwitter使用は、望ましい使い方ではないな、と思いました。
twitterをやめたことでのデメリットもあると思います。情報が皆よりワンテンポ遅れて入ってくる、皆が知る情報を自分だけ知らない、という事が起こりえます。
でも、場合によっては「知らないまま」でいた方がいい事もあるかもしれませんね。
3つ目のツイートの事になるのですが、気になる事がすぐ分かるというのは、そこで解決するのではなく、あれこれ他の事が気になって仕方が無いという悪循環を作り出します。
で、だんだんエスカレートして歯止めがかからなくなってくる。
2つ目のツイートの話も混じってくるんだけど、ネットの歴史が浅いためか、今のところネットへのアクセスに関して制限時間が定められてないため、延々と見続けてしまう。
電車待ち、乗車中などやる事がないとすぐ携帯に手が伸びる。
(携帯はこのタイミングでしか見ない、という自分ルールを確立しているのであれば別です。が、そのような人はあまりいないでしょう。・・・とはいえ、制限する方法が己の自尊心のみ、というのもなかなかに酷な話ですよ。そのくせ、もし法でネット閲覧の制限時間が設けられたらきっとブーブー言うのでしょう(笑)。)
起きている間じゅう、ひたすら気にせずにはいられない状態を作り上げているのであれば、何のための情報か、という事です。
恐らく、いろんな事を気にしてしまうのはつまり、情報の取捨選択が出来てないという事なのでしょう。
ここは一旦、あえて「見ない」状態を作り上げる事で、自分に必要な、気にするべき情報は何か、気にしなくていいから見なくてもいい情報は何か、ちょっと考えてみます。
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